議論や戦いや喧嘩のあとで人を嫌いなる意味はない。




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ビジネスパーソンなら戦うことがあるでしょう。

できるなら戦いたくない人でも長く働いていればなんらかの衝突や諍い。自分の働くテリトリーを守るために戦うことがあるはず。

でもそういう戦いの後って何か後味の悪さを感じることが多い。勝ったときとかは特に。

ときにはその相手を嫌うことさえある。(これは負けたときに多いのかも。)

でも戦ったことと相手を嫌いになることをどうして混同してしまうんだろう。戦って負けたからって次の日から冷たい態度をとるあなたの心には何があるのだろうか。

そもそも戦った内容と人を嫌いになることは別のこと。

例えば、いままでA部署の仕事だったのがB部署に業務移譲されたとする。

それはAとBとの間で交わされた会議や交渉で無理やりに移譲されたことで、Bの人たちは全然納得がいっていない。

そんなときにAとBとの間には妙な亀裂が入る。中にはAとBとの共同作業のときにAの人たちに対する風当たりが強くなる。

意地悪な対応や態度をとってしまうかもしれない。

こういうことは往々にして起こっていると思う。

だけど、僕はその戦った内容(業務移譲されたこと)とその部署の人たちを嫌うことは全然違うことだと思う。

憎むべきはその業務もしくは業務移譲されたことであって、その人間を嫌う意味はないのだ。

僕のこの感覚は理解されづらく、なんでそんなにいい人なの?と言われることがある。

だけど僕自身は何一ついい人ぶっているつもりはない。

そもそもそこに怒りを感じないのだ。

例えば相手の普段の言動に何か感に触ることがあっても、実際に仕事をするときにその態度を咎める意味で冷たくしたり、その人との仕事のときだけ態度を変えたりちゃんとしないということはない。

だって仕事とその人の言動は全然別個のところにあることだから。

だから、喧嘩に近いようなやり取りをやった相手でもその人間自体を嫌うことはまずない。(かなり非人道的な行為をされない限り)

そこに嫌う意味がないから。

月見的(@tuki_mizu)見解

仕事をする上で自分のテリトリーを守ることは大事なことで、そのときにだれかとやりあうことは絶対にある。

だけどそこで生まれた戦いに勝っても負けても、相手の人間自体を人格を嫌う必要はない。

憎むべきは戦った結果や理由であって(それも別に無理に嫌う必要はない。)人ではない。

この思考や態度はビジネスパーソンにとってかなり重要な資質だと思う。何かをなすべき人にはこの感覚か備わっていることが多いと思う。

罪を憎んで人を憎まずということばがあるけど、それに近いのかも。

それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。




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