「作る」という向こう側にある「楽しさ」に気づく。




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2016 07 18 15 17 29

「楽しさ」について。

この世は大別すると2通りの生き方があってその生き方を行ったり来たりしながら生きていると僕は思っている。

その2通りというのが「作る側」と「作られる側」の2通りだ。

行ったり来たりというのは多かれ少なかれ人間は何かしろ生産や消費しているから、誰しもが作る側で誰しもが作られる側なのだということ。

そして最近よく思うのが、生み出したり、作ったりする方が与えられるよりも100倍面白いなと感じる。


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ブログがなぜ楽しいのか。

僕はこのブログの運営を1年以上継続している。

毎日のように記事を更新しているんだけど、なんでそんな面倒な事ができるのかという理由を探っていくと単純におもしろいからというところに行き着く。

だけど何がおもしろいのか?という原因を追求するとはっきりとしなかった。

でも最近ふと気付いたことがあって、言いたい事や伝えたい事があってそれを「文字・ネット」というツールを使って、形にして作る事がおもしろいんじゃないかな。

ブログはやっぱり創作物で、自分の思いを言語化・文章化する事はものすごくおもしろい。

作り手側の方が100倍おもしろい。

細々とやっているが、僕のブログの記事は今や600を超え毎月5万人ぐらいの人に6〜7万回記事を読まれる。

つまり僕の作ったものが誰かの手によってそれなりに読まれている事になる。

この関係に関して僕は「作る側」で、読者は「作られる側」という事になる。

もちろん僕の書いてる雑多ブログ等は特定の誰かのために書いているわけではないんだけど、必要とする人が検索経由でやってくるということは少なからず需要があるのだと思う。

僕は映画や小説や漫画を読むのが大好きだ。なので作られる側に立つ事も多い。

でもものすごくおもしろい作品に出会ったときに「すげー!」という感動や高揚感がある一方、「なにこれ?悔しい。」「こんなおもしろいもの作れる人がいるんだ。」「俺なにしてんだろう。」というちょっとしたやきもちのような嫉妬心にかられる事がある。

この感覚に関して他の人も同じかどうかはわからないんだけど、ブログという創作物を作っていることが少なからず関係しているんじゃないかと思う。

そしてそんなときは不思議とブログの更新頻度は増える。

また、ブログを書いていて文章の言い回しや内容がすごく自分の思い通りに運んだときには高揚感や爽快感を抱く。隙間なく積みに積んだテトリスをながーい棒で一気に消し去る感覚。

「スキッとする。」といった感覚。

で、結局そのときに僕はひどく「楽しむ」という感覚に浸っている。それで、「おもしろい映画を見る」と「何かいいものができる」を天秤にかけると後者の方が楽しいと思えるのだ。

作る側でありたい。

この部分に気付いた上で今までを振り返ってみると、いろいろな物を自分は作り作られてきたことがわかってきた。

ブログ書いてない人はどうすればいいのか?と聞かれるかもしれないが、普段の仕事であっても作り作られの関係性はある。

例えば、流れ作業のように会社から命ぜられた仕事をただ漫然とこなすのは「作られた仕事」。

そして、その仕事をに関してより効率的に行おうと思考を巡らせたり、実際にトライしてみたりすることが「作る仕事」だ。

このことに気づいている人は多分少ない。「作る」を意識して仕事をしている人は少ない。

だってめんどくさいから、0から1を作るのは難しい以上に「めんどくさい」が付きまとってくる。

さらに仕事ってこの「作る」をやらなくてもお金がもらえる。だからなおさらやろうとする人は少ない。

でも楽しんだけどね、自分で仕事を作るってことは。だから僕はどんなときでも「作る側」でありたいと思う。

月見的(@tuki_mizu)見解

この記事はかなり僕の中でスキッとする感じがある。文章云々というより書きたいことが書けた感じ。

やはり創作って楽しいよ。ただ自分の思いを文字にしてるだけなんだけど、他の誰かからしたらそんな物をクリエイティブな物だと言うのはおかしいと思われるかもしれないけど。

それでも「作る」ということが楽しくて自分の人生を豊かにしているのがわかるから、僕はブログを書くということを勧めたいし、すごくクリエイティブなことだと伝えたい。

それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。




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