喋りすぎることでは何も伝わらない。言葉をコントロールする力。




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2016 07 20 22 13 10

会議などで議論を重ねるときに自分の意見が多くなれば多くなるほど、その終わった後の徒労と失意感は大きくなる。

それは言葉数が多くしゃべるときというのは意見にまとまりがなくて自分の中の感情を主体にしゃべるからではないかと思う。

つまり単純に中身がないのだ。

ときに、人の一意見が一人から3分間ものべつまくなしにとびたしてきたら、聞いている方も楽ではない。

そもそも3分間もしゃべった内容を理解するのにも一苦労だ。

つまり、言葉数が多いことは一見知的に見える側面もあるが、実は意見をまとめる力がなくて垂れ流している状態、と言っていい。


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沈黙は金。

その口を守る者はその生命を守る。
ソロモン 「旧約聖書-蔵言十三章三節」

旧約聖書ににも書かれているが、口は災いの元であり喋りすぎは身を滅ぼすとも言われている。

これは真理だなと思う。愚痴や悪口というのもお酒のつまみ程度に言うぶんにはいいが、度がすぎるとどこかから必ず漏れる。

そして漏れた悪口は自分の人生においてほとんどプラスに作用することはない。

こういう面でも喋りすぎは良くないと思う。

つつましき舌は人間の最上の宝にして、かつまた、ほどよく動く舌は最大の喜びなり。

この言葉も好きだな。

注目すべきは後半の「ほどよく」という部分。

適度という言葉は何においても大切な要領だと思うのだが、こと喋りにおいても重要だ。

多くを喋るのはほとんど何も喋らないのと似ていて、適度な量だからこそその言葉は生きるのだと思う。

沈黙しているとき私は充実を覚える。口を開こうとすると、たちまち空虚を感ずる。

口を開いて言葉を吐き出せば吐き出すほど、その量が増えるほど虚無感に包まれることがある。

喋り終わったときに「いまのは言い過ぎたのかな?」と思えるときは、大抵言い過ぎているものだけど、伝わらない言葉ほど無意味なものはない。

喋りすぎて伝わらないのなら、むしろ沈黙に徹した方が意味を成すときがある。

まだまだ僕は言葉の力に頼ってしまうことがあるが、言葉は発するだけではダメで、聡明な人は総じてその言葉の量が適度であるように感じる。

学ぶべきは言葉の内容よりも量なのかもしれない。

月見的(@tuki_mizu)見解

沈黙を生かせる生き方をしたいなと思う。

まだまだ僕は言葉に頼り(それも多くの言葉)自分の中身のなさを垂れ流して生きているので。

今回は戒め記事的になったが、言葉をコントロールするのは感情をコントロールすることと同義なので自分でバランスを取れるようになりたいと思う。

それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。




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