少数派の価値観は石を投げられがちだが、大事なのものはその価値観にある。




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2016 10 19 19 52 49

最近イシツブテを投げられる機会が多くなってきていて、それは自分の思考や感覚が凝り固まったガチガチ脳から解き放たれているんだと確信している。

この世は本当に大多数の意見の流れから逸脱した人に対して厳しい世の中だと思う。

凝り固まった思考が道の上に小石のように点在していて、思考の柔らかい人はそれを軽やかに避けていく。

だけどそうできない堅物はその石につまづきながらも「これが正解だと。」という確固たる自信があるものだから、軽やかに避けるその人の背に石をぶつけるのだ。

一般的な常識というものはそれほどまでにえらく、信じていないと生きていけないものなのだろうか。

ある一定層の人は毎日の挨拶に美徳を覚えるが、「挨拶ができて仕事ができない人」と「挨拶ができなくて仕事ができる人」が並んでいた場合、僕はどうあっても仕事ができる人を採用すると思う。

えらい、えらくないの話ではなく、一緒に仕事をする上でどちらが自分の助けになるかを考えた時に「挨拶ができない」というマイナスファクターよりも、仕事を効率的に回せる方に利を感じるからだ。

だけど、この思考になれない人は多い。

僕はあの人が好きになれないという理由が「挨拶ができないから」という人の気持ちもわからない。

「挨拶」というものを重要視していないし、人を嫌いなるという判断基準にそれを入れても何も生まないからだ。

嫌いなら嫌いで話さなければいい。嫌いになること自体は勝手だし、僕は悪くないとは思うけど、それを周りに言いふらして何の意味があるだろうか。

まぁ嫌いという感情を持ったとして、その人から離れればいいだけの話で、お昼休みや飲みの席などでそのような話をする人がいたら、本当に時間の無駄なのでやめた方がいい。

まだ仕事の愚痴の方がましだ、効率の悪い仕事や納得の出来ない仕事には良くしようとする行動をとれるから、生産性のある議論ができることもある。

人が好きだ、嫌いだとかを判断する人もそれを仕事に持ち込む人もあまり信用しないようにしている。

積極的に離れるのがいいだろう。

月見的(@tuki_mizu)見解

挨拶ができなくても仕事を正当に評価できる人は信用ができる。

昔に比べるとこのような美徳と信じられてきたものも、最近は衰退しつつあるのだけど、それでもこのよな価値観を持った小石たちは沢山いる。

そのような人たちがイシツブテを投げてくるんだけど、投げられたらその人は多分一般的な価値観からはみ出している人たちだと思う。

どうかそれの思考や価値観を大事にしてほしい。

イシツブテを軽やかなステップで避けるぐらいの方が僕は好きだ。

それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。




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