「普通」という暴力を振るってくる人が嫌いなのだ。




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2016 07 15 22 16 23

「しなければならない。」が最近怖いと感じている。

「しなければならない。」って「そうあるべきだ」と一緒なんだと思う。

例えば、サプライズで用意されたケーキに対して、サプライズされた側のAさんがスマホをで写真を撮らなかった時に「写真を撮らなくていいの?」と言われたらAさんは写真を撮らざるを得ない。

「別にいいです。」と断ろうものなら「せっかく用意してもらったのに愛想もない。」「感謝を感じてないのか。」と言われるのだろう。


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「そうあるべき」の窮屈さ。

しかし、写真を撮らなかったからといってそこに感謝がないとは限らないではないだろうか。

感謝を述べる。<スマホで写真を撮る。

なのだろうか?

そもそもカメラなんてスマホや携帯についてない時代だったら余程のことがない限り(何かのイベント事、旅行とか)持ち歩いていない。だから写真を撮らなくてもなんら問題にされる事もなかった。そんな時代だったら感謝の言葉だけでも十分だったのだ。

だけど何か物珍しい出来事に対面した時にスマホで写真を残す。さらにそれを発信するという文化が当たり前になった現在では、サプライズでケーキをもらった人は思い出をスマホに残さなくてはならない。

そんな「そうあるべきだ」という暴力的な風土に窮屈さを感じてしまうのだ。

もちろん時代とともに感覚や意識はどんどん変化していく。なのでそれが「当たり前」になってもおかしくない。

でもその「当たり前」や「そうあるべきだ」が染み付いてしまって「しなければならない」になった時の居心地の悪さといったらない。

だから僕はそういうものにはなるべく巻かれないようにするし、自分の中の「当たり前」を人に押し付けたりする事はない。

「普通」という暴力。

これと一緒で「普通そうする。」という言葉も怖い。

「普通そうする。」の「普通」は自分の中の尺度である事を理解してほしい。その尺度がこの世のほとんどの人の尺度に当てはまっても、その枠外の感覚や意識を持っている人は必ず存在する。

その人は全体からすると少数派かもしれないし、少しとんがった感覚かもしれない。でもその感覚を押しつぶす権利なんてどこにもないし、従う必要もない。

普通って言葉は僕の中でかなり暴力的な言葉だと感じる。

こうなると「普通」という定義が難しくなるんだけど、一般的に大多数の人が「そうあるべきだ」と感じている事。というのがしっくりくる。

でもその普通になるかどうかは自分中の尺度でしっかりと決めていきたい。

普通が悪いという事ではない。「普通であるべきだ」という事を暴力的に押し付ける事が悪いのだ。

これははっきり言える。誰かにとっての「当たり前」を押し付けようとする事は罪だ。

月見的(@tuki_mizu)見解

なんかブログで文章化するとかなりスッキリする。

僕が日頃感じている「普通であるべきだストレス」に関してちょっと思ったところを書いてみたんだけど、妙に腹に落ちた。

僕は「当たり前」だとか「普通だ」とか「〜しなければならない」だとかそういう型にはまった事が根っこから嫌いなのだと思う。

こういう類の言葉を発する人は「思考停止」している人が多いのでなおさら嫌いになる。

「普通」じゃなくてもいいよ。

それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。




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