行動を起こせないのは明日自分が死ぬことを知らないから。




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今日もどこかで誰かが死んでいる。

そんな当たり前をどれだけの人が理解しているのかはわからないけど、いま自分自身が明日死ぬかもしれないということを理解している人は多分少ない。

一日が24時間しかなく、そのうちに自分のために使える時間が3分の1も無くて、それを365回繰り返しせば一年で、

それを平均的にという計算でいけば80回繰り返すと大抵の人は一生を終える。

その事実を知ってはいても本当の意味で理解している人は少ない。


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明日死ぬことを知るべき。

だから僕はいち早く知って欲しいと思う。

人が生きると書く「人生」は、かなり不確かなものでつかみどころがない。

先ほども言ったように「明日死ぬ」かもしれないほど不確かだ。ということを。

だからこそ行動をしたほうがいいと、(これは僕自身の自戒でもある。)

よく行動をする前に「失敗」が壁になって縮こまる人がいる。(僕もそういう時がある)

失敗というものは想像すると怖いものだ、例えばサラリーマンを辞めて起業しよう。そう思った時の失敗は事業に失敗しお金がなくなる。ご飯が食えなくなって路頭に迷う。

これは怖い。確かに想像するとぞっとする。

だけど、こんな時に僕が思うようにしているのは「明日死ぬかもしれない」ということにはなぜ無頓着でいられる?ということだ。

何かを起こそうとする時に「失敗」→「不幸」→「死」というかなり豊かな想像ができるのに対して、明日自分が死ぬという当たり前にある可能性については、いつも脇に置いてある。想像しようとすらしない。

たまにちらっと想像してもすぐに脇に追いやられてしまう。

死んだら元も子もない。

僕はこの言葉が人生を生きる上でかなり重要だと感じてる。

死んだら何もできなくなる。これは意識できるか否かには天と地ほどの差が有る。

一ヶ月後に死ぬかもしれないし一週間後に死ぬかもしれない、だからこそやりたいことをやるべきだ、僕はそう思って生きるようした。

月並みな考えかもしれないが、案外これを実行に移している人は少ない。

誘われるがままにたいして行きたくもない飲み会に行き。お金と時間の浪費。

愛想を降りたくもない仕事場の先輩や上司とのコミュニケーション。

数えればきりがないけど、嫌なことをみんなが平気でやっているのを僕は当たり前のように見てきている。(僕自身もそうだ)

月見的(@tuki_mizu)見解

自分以外の誰かが当たり前のように死んでいる。もちろん一般的な一生を過ごして死んでいる人もいるが、そうではない(事故とか病気とか)死もたくさんあることを意識したい。

そうすれば、やりたいことが少しずつだけどできるような気がする。

明日死ぬかもしれないのに、愚痴を言い合うような飲み会に出ている暇はない。

やりたいことをやりたい。

明日死ぬかもしれないから、それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。

これ読むべき。




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