熊本地震、本震から3週間。いまだに余震は続いている。
もちろん本震に比べれば大したことのない揺れなのだが、それでも少し揺れるたびにあの前震・本震が思い起こされ、鼓動が速くなるのを抑えられない。
それだけ熊本地震は僕の中で大きな出来事だ。
しかし震災という物は非常に多くの物を無にしていった。
家、道路、日常、お店、仕事。
細かく数えるなら数え切れないだろう。
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物を持つリスク。
我が家の震災で壊れた物はといえば、キッチン家電、お皿、CD、etc。何度も言うが細かい物を数えるときりがない。
僕はそれらを片付け、そして使えない物やもういらない物等は捨てる物として分別した。
そんな中で僕は気づいた。生活をする上で大抵の形ある物は、もしなかったとしても十分に生活はできるのだと。
僕ら家族は震災時に車中泊を余儀なくされた。
その時にも車の中にはスマホとお金と飲食物。そして着替えと毛布ぐらいしか持っていかなかった。
生きるということに限定すれば人間はさほど物を必要としない。
物として所有しない。
リスクヘッジで物として所有しないというのが非常に有効だと感じた。
これはちょっと限定されるが例えば、本やCDという物はいまやデータとして購入できる。
いわゆる電子書籍や音楽のストリーミングサービスやダウンロード商品を利用すること、これはクラウド上にデータを残せるので、たとえパソコンが壊れローカルのデータがなくなったとしても問題ない。
もし物として自分が所有していると、震災や火災で消失する危険があるのだから、物として持たないという選択肢は有効だ。
そして物としてしか所有できないものはなるべく持たない。
賃貸と持ち家。
僕の近しい知り合いの中にも持ち家を失う、もしくは改修を余儀なくされた人が沢山いる。
その中で思うのは震災時に持ち家はリスクにしかならない。
賃貸の場合は極論住めなくなれば移動すればいい。しかし、持ち家の場合はそうはいかない。
もちろんちゃんと保険という選択肢をとって、しっかりと高額な掛け金の地震保険などに入っていれば全壊したとしても怖いものではない。
しかし、それなりの代価を支払っておかなければならないし。一生に一度あるかどうかわからない可能性に高額な保険をかける人の方が少ないだろう。
そもそも賃貸であればそれを心配する必要もない。
これも物を所有する怖さだ。
物を持つことを本当に一から考えさせられた。
今回の地震は死について考えさせられた一方、今からの生き方についても多く考えさせられた。
特に所有する物を少なくすることは、生きることへのリスクヘッジになると切に感じた。
極端な話だが、0に近い状態で生活ができれば、何もかもを失った時のダメージが少ない。
もちろん0で生活することは難しいのだけど。
月見的(@tuki_mizu)見解
ちょっと今回の記事はまとまりがないなと感じる。
それはまだ、僕の中での物に対する考え方が震災を通して変わってきている過程で、今後どのようにしていくべきかの方向性がしっかりと定まっていないということだろう。
しかし、今回の震災で僕は物を所有するということを真剣に考えるいい機会となっているのは事実だ。
生きる中で必ず人は物を所有する。
だから真剣に物との付き合い方を考えてみるべきだ。
それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。