ブログの更新ができなくなって10日間。
ここまでブログを書かない期間が空いたのは初めてかもしれない。
なぜ書けなかったのかということを端的にいうならば、僕が震災にあっていたからだ。
「まさか自分が」ということをこの10日間で何度思ったことか、そしてブログが書けるというごく当たり前の今が本当にありがたいと思う。
地震という天災は誰しもに起こりうることでそれがどういうことなのかを残しておくべきだと切に感じる。
なので明日の誰かのために僕の体験をここに記しておきたい。
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はじめての震災
この日の僕はというと、のんきに居酒屋でご飯を食べていた。
宴もたけなわ、もうそろそろお開きかと締めのアオサのお味噌汁をひとすすりしテーブルにおいた瞬間、グラっと体が揺れた。
その一瞬の揺れは大したことなかった、ちょっと大きな揺れだなーと頭の中によぎったそのとき
居酒屋の電気が消え、体を支えることができないくらいの激しい揺れが襲った。
店内に響き渡る悲鳴。
僕は何も出来ずにただお味噌汁の茶碗を強く抑えることしかできずに硬直している。
脳内には「やばい」という一言が流れその大きな揺れがただ収まるのを願うしかなかった。
幸い揺れが収まるとすぐに電気がついた。
それと同時に嫁からの着信。その日は一人家にいた嫁は少しパニックになっていた。「早く帰らねば」と思い店の外に出ようとするも廊下には割れたお酒の瓶が散乱していて足の踏み場がない。
柱や壁にしがみつき、どうにか店の外に出てタクシーを捕まえる。
車をコインパーキングに置いていたが、電話が通じらず代行を呼べる状況ではないと判断し置いていくことにした。
家の中の惨劇
嫁いわく。
「お尻がソファから浮いた。」
これは嫁が後から余裕が出てきてから聞いた言葉だが腰が浮くほどの地震などそうない。当たり前だ、震度7の地震なんて経験したひとのほうが少ない。
帰って家の状況を確認して改めて強い地震だということがわかった。
ソファに倒れかかる本棚ととびたした漫画。
ほんとギャグみたいにきっちり全てが飛び出している。
キッチンの食器類も同様である。
CDラックからも軒並みCDが飛び出していた。
嫁は寝室に隣接している和室でうずくまっていた。とりあえずものが倒れてこないところに避難していたとのこと。
続く余震
余震はとめどなくやってくる。最初の大きな地震から1、2時間の間に数え切れないくらいの余震が起こった。
しかも強い。
これは家にいては埒が開かないと判断した僕らはとりあえず現金と家にある水。そして、1、2日分の着替えを持って家を出た。
僕の職業は看護師。病院の状況も気になったのこともありとりあえず病院へ、病院であれば安全もある程度確保されているという考えもあった。
その日は余震に怯えつつ病院で一夜を過ごすことにした。
病院でも強い余震怯えつつほとんど一睡もできないまま夜が明ける。
まさかの本震。甘い考え。
14日の地震から1日経過し余震の感覚も少しずつ伸びて、昨日のあの衝撃の地震がなにか嘘だったかのように感じ始めていた。
マンションは電気もガスも通っている。水の出が悪かったがお風呂などは温泉にはいれば済むことだ。
幸いお皿なども割れたが買い直せば済むし本はまた元に戻せばいい。
そんな軽い考えの僕は、まだこの時にあれ以上の恐怖があるとは思いもしていなかった。
温泉から帰ってベッドに横になったのが深夜の12時過ぎ。前日の地震の疲れもあって泥のように眠ってからたった1、2時間後、その地震は起こった。
1度目の地震よりも明らかに揺れの幅が大きく長く続く地震にすぐに目を覚ました僕は、どうすることもできなかった。グラングランと揺れる部屋と様々なものが落ちる音に、「死」という恐怖を感じざるをえなかった。
後でわかったのだが14日の地震が前震、15日地震が本震ということらしかった。
どうにか本震が止んだ瞬間に体を起こし。現金やスマホだけを持って外に出た。さすがに「死」を意識した地震、家にいては危ないと判断した。
とりあえず車に避難しエンジンをつけてテレビをつけた。家の中は停電していてまだテレビの情報を得られていなかった。
そして、テレビからの情報でさらに恐怖することになる。
「津波に警戒してください」
たった一言の地震速報に東北の震災が頭をよぎる。
そう思った瞬間に僕はアクセルを踏んでいた。もう的確な判断をする能力を失っていた僕だが、とりあえずなるべく高度の高い場所を目指した。
車を公道に進めると道をすでに大渋滞。橋の上などで立ち往生するとどうしようもないと思った僕は、近くのスーパーの駐車場で待機することにした。
テレビからの情報と周りの人の流れを観察しつつ。津波よ来るなと祈った。
30分ほどして近くの建物の電気がつき始めて少しホッとして冷静になり始めた。津波は来なかった。
「とりあえず病院だ」余震も落ち着きつつあった間隙を縫って部屋に着替えを取りに行き、病院へと車を走らせた。
1日目同様繰り返し起こる余震に怯えつつ、眠れぬ夜を過ごした。
月見的(@tuki_mizu)見解
これが地震初期。特に前震、本震の二日間の僕の記録だ。
僕の住んでいた地域は一番被害の大きかった地域に比べると確かに被害は少ない。
それでも「死」を意識するほどの揺れ感じた。いま当たり前にブログを書いているのが信じられないぐらい何の余裕もなかった。
天災に関して人はあまりにも無力だ。そして天災は容赦がない。
1日目の前震から同じ強さの地震など来ないだろう。という甘い考えが僕にあったことは否定できない。それはもう猛省するほかない。
最後に僕が言いたいのは「起こらないだろう」はこの世には無いということ、阪神大震災も東北の震災もどちらもリアルタイムでメディアを通して見ていた僕だが、やはり他人事だった。
もちろん「大変だな」とか「かわいそう」などというあまり意味の無い感慨があったのはあったが、同じ日本で起こっている事実としてはかなり遠い位置を感じていた。
しかし、現実に熊本で起こった地震に直面し「死」を意識して始めて被災した人たちのリアルの心境を理解している。
この「理解」ももちろん「本物」では無い。実際の理解は現場でリアルを感じ無いと出来無いのだと思う。
しかし、近いところに気持ちがあることは間違いない。
このブログを読んで何を感じるかは自由だ。
しかし、明日自分にふりかかるかもしれない現実かもしれない。
今回の地震で尊い命がいくつも奪われた。僕地震には大きな怪我はなかったが、その奪われた命に関連する人は少なからず僕の周りにもいる。
それを感じた時に何をするべきかを僕は今後真剣に考えていきたいと思う。
それでは、月見水太郎(@tuki_mizu)でした。